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2009年07月10日

ジョン・ケージ



 ジョン・ケージを聴く。全然、永遠に最先端を行っているような気がした。有名な「4:33」よりも、「Radio Music」にびっくりした。まるで、サンプリングを聞いているようだった。「Music For Marcel Duchamp」を聴くと、エイフェックス・ツインがまじめに弾いたピアノすら霞んでしまった。プリペアド・ピアノって、面白い。これは、マルセル・デュシャンに捧げられている曲だそうだ。
 似た者同士なら、画家と音楽家も、やっぱり仲良しなのだ。

 もちろん彼の実験的な試みが、はたして成功しているのか失敗しているのかは不明であるものの、楽しいと思った。楽しいことは良いことに思えます。(しかし、やっぱり「4:33」は苦痛だった。バックミュージックにはならないと思った。)


 振り返れば、十年前に勉強していたことは現代哲学であった。友人たちは、現代思想が大好きな人たちばかりで、十年たったいまでは現代美術が好きそうな人が多い。そして、現代音楽が好き。

 ヘーゲルを研究していた先生が授業中に、現代思想のスーパースター(たとえばドゥルーズとかガタリだったりラカンだったりするのだが)を指し、「蒙昧主義者」と批判していた。
 難しいことはよくわからないが、ある種、的を得ていると思う。
 「現代〜」とは「蒙昧〜」と翻訳することができるだろう。

 そんな蒙昧主義者たちに、どうしてぼくらは熱狂したのかというと、楽しかったからだし、かっこ良かったからのです。68年5月のパリと聞いただけで、ぼくは気が遠くなるほどの気持ちになってしまいます。

 現代とつくものは、得てして楽しいものなのです。時代の反逆者の称号に思えます。だから、21世紀のさらに100後、いま「現代美術」、「現代哲学」、「現代思想」、「現代音楽」…と名乗っている人たちの中には、いつか古典となる人たちもいることでしょう。現代なのに、古典…。この自己否定的な、この矛盾に気づいている人はどれくらいるのだろう。

 楽しいことが好き。悲しみを理解できる人が好き。
posted by piko | 日記

2009年07月09日

壊れた時

 炊飯器が壊れてしまいました。
 朝、速攻でひいきにしているリサイクルショップに行くと、新品未使用の炊飯器がありました。7000円でした。これがお買い得に思えたのですが、ひとつ難点を言えば、十合炊きなのです。このでっかいな炊飯器で、お米を二合分炊きました。


 リサイクルショップには、さまざまな興味深いものがありました。たとえば、全自動洗濯機。
 しかし、ぼくは思ったのです。すべて買い替えていたら、きりがない。自分なりに、約束事が必要だ。

 それは、壊れた時が、変わる時。もしくは、変わらざるを得ない時。
 危険とチャンスが訪れたとき。
 




 ペンギンカフェオーケストラを聴いている。もう、二十〜三十年も昔の録音。でも、すばらしいのです。古くならないのです。いっぱい語りたい。でも、もうバイトに行かねばねりません。
 この世界をどのようにして、世界自身に報告すれば良いのでしょう。
 ぼくは絵を描けるようになることを必要としています。どうか、絵が描けるようになりますように。
posted by piko | 日記

語り得ぬもの

 物悲しく、元気な曲が好きだ。秋を連想させる曲が好き。

 自分にノルマを課してみる。


 たとえば、ウィトゲンシュタインは一生のうち一冊の著書しか残さなかったけれど、それでも彼は晩年まで「仕事」をしたと語られる。彼の仕事とは、北欧の離れ小島に建てられた小屋とか、ケンブリッジの高い高い塔のてっぺんの部屋で思索に耽ることだったり、修道院の掃除小屋でめそめそ泣くことであったり、学才を持つ弟子を工場に働かせ死なせてしまうことだっり、論理を駆使して面白いジョークを考えたりすることだった。
 これらが仕事だなんて、想像もつかないことだろう。 

 ドイツ人の冗談はつまらない。イギリス人のジョークはウィットに富む。
 カントの『純粋理性批判』がジョーク集だなんて、どうして分かり得よう。マルクスにいたっては、彼の性格が悪さが著作に散りばめられたブラックジョークとなって現れ、20世紀には国家を通して現れる。

 ウィトゲンシュタインはドイツ語圏の人だったけれど、ほとんどの人生を英語圏(イギリス)で過ごした。


 彼はよく仕事をした。彼の仕事は考えることであった。
 彼は一冊の著書を(そして膨大な編まれざる遺稿集)残して、死んだ。
 なんだか不思議なことだ。

 つまり、金銭に結びつくことは仕事。同時に、金銭に結びつかない仕事もある。
 なるほど、ぼくもそう信じている。

 でもさ、でもさ。そうならば、その金銭に結びつかない仕事なるものを、ぼくはしているんかいな。



 ぐったりとしていた。いろいろなことに思いをめぐらせていた。ペンギンカフェオーケストラとか赤い鳥とか、古い曲を聴いて心を鎮めた。
 
 ただ見えるもの、どこを切り取っても美しいもの、そして誰かを輝かせるものを描くことを試みたいと思いつつ、いまだ果たされず。もう、きょうは眠ります。
posted by piko | 日記

2009年07月07日

Perpetuum Mobile




 30号と100号の下地の処理をした。
 某画材屋で、一本3000円の油絵の具が210円で売られていたのであった。

 アンビエントとか、ディープな映像を観る。たとえば、イーノとか、ペンギンカフェオーケストラとか、新たに知った作家とか。


 長丁場のテーマを描くなら、やっぱりオッサンとか、風景より、女性がいいな。やっぱり女性にしよう。オッサンを数ヶ月かけて描くだなんて、そんな生活したくありません!!

 男性が女性の何に魅力を感じるのか、ということは、自分が男性なるもの故に、よく分かるつもりです。
 しかしながら、女性なるものが男性なるものの何に魅力を感じるものなのか、さっぱり分かりません。
 女性の生態を観測したいとも思います。なんで、女性という美しいものがこの世に存在するのか、月や木星や土星や海底や星や砂漠があることぐらい、とっても不思議なことに思えます。
posted by piko | 日記

2009年07月06日

男性なるもの、とか

 男は男でセクシーだと感じられることがるならば、もしくはオヤジ臭さを放つきったないジジイとか、艶のないホコリくさいなんつーか、自己啓発セミナーで作り上げたプライドをまとって生きるおっさんとか、そういう生き物にも、いとおしさを感じることができるなら、別に女を描かなくてよい気がする。
 あまりにもサラリーマンには、ドラマがない。砂漠である。だからこそ、現実には没物語性であり、砂漠のサラリーマン世界を描き切る島耕作の人生とか、プロジェクトXのような神話物語が驚きをもって迎え入れられるのだと思う。

 いわば、ドラッグである。麻薬である。

 でも、ぼくは麻薬が好きである。別にケミカルなもの、お薬だけが、ドラッグとは限らない。

 

 なぜ、誘惑に負けてしまうのだろう。好きだと思ってしまったものを、好きでいらずにはいられないのだろう。それがとても不思議なのだ。圧倒的に好きなものがある。


 臭いオヤジ、それは、自分自身のことでもある。自分自身を直視することができたなら、ファンシーな退屈な絵など描かなくなるだろう。

 なんてことを松井冬子さんの絵を観て思ったもする。
 
 好きなものを誘惑して、手に入れたいと思うことがある。それは、会社前にひげを剃ったり、お化粧をすることと同一である。ぼくらは、誘惑しようと努力する。そして、その命がけの止まらない誘惑は、いつしか自分をも高める不思議さを持っている。


 誘惑の手段は、神秘的である。美につながりを持つものの、それは奇麗さとは直接的な関係がない。醜悪なものを、ぼくらは、のぞいてみたくなる。そして、醜悪なものを、ときに愛してしまうことすらある。
posted by piko | 日記

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